BLOG-0084 ガシャポンHG回顧録

 ウルトラ怪獣名鑑がリスタートしたのなら、ガシャポンHGはどうか。当サイトを立ち上げたのも、HGシリーズの収集が切掛けであり、サイトテーマの本命でもある。だが、こちらの復活については、やり尽くしている感が強く経営戦略的にも難しいだろう。
 月刊誌『MONOマガジン』で、ガシャポンHGが紹介されてから大ブレイクしたと言われる。ちょうど、1998年のライディーンの頃である。自分の目にとまったのは、HGウルトラマンpart13の時で、初めて手にしたアントラーの完成度に感激した記憶が新しい。地方では、この頃からHGを詰めたベンダー機が目立つようになっていったのではないだろうか。HG仮面ライダーシリーズも、自ずと注目されていった。
 しかし、当時は1カプセル200円という売価が、異常に高値に感じられた。ダブってしまう怖さが付きまとった。この頃には、ホビー系のリサイクルショップは存在しなかった。不安を解消したのは、ガシャポンクラブ、通称“ガシャクラ”のトレード掲示板である。インターネット普及の波に乗って、HGシリーズの人気は急上昇した。掲示板で取引が成立すると、お互いに直メールで住所交換をして、パッキングシートに包んで封筒に入れ、定形外郵便で相互に同時発送するのが基本だった。今、考えてみれば、交換に要する120~140円(当時)の送料は、200円の商品に対する経費としては割に合わない。だが、発売済みのシリーズや、自分が本当に欲しいものを手に入れるために夢中になったものだ。パソコンの前に釘付けになり、自宅の郵便ポストにはモコモコした封筒が頻繁に配達された。トレード掲示板では、次第にレートという考え方が成立していった。交換が1:1というわけにいかないアイテムは、複数との交換条件が提示されたのである。こうして、求める者と求められる者の間に、win-winの関係が出来上がっていく。

 少し時が経って、ヤフーオークションが登場した。より高度な取引のために、HGシリーズも多く出品された。慣れてくると、利用者も増加の一途をたどった。そこでは、異様な競り売りが展開したのだった。交換レートでは収まらない価値が生まれ、200円の商品が1,000円以上は当たり前、10,000円以上で取引されことも珍しくなかった。ベンダー機に差し込むDP台紙も、高額で取引された。こうして、掲示板やネットオークション、さらには地元で開催されるフリーマーケットにおいて“ガシャラー”達は、自分のコレクションをコンプリートさせていった。その過程で費やした労力と対価は、半端なものではなかった。
 今回、画像に取り上げたのは、全盛期では高額取引されていた、HGウルトラマンpart2(初版)の全6種である。現在では、とても安く入手することができる。改めて見直してみると、カプセルに入ることが前提の商品であるため、パーツ分割が良く考えられている。また、パーツの精度を高めるために分割された箇所もある。自分は、エレキングやゴモラに憧れた。後に再販された商品と比べると、初版には全く異なる丁寧な塗装が施されているからだ。単なる思い込みと言われればそれまでだが、そこには過去の熱い思いへの郷愁が重なっているのかもしれない。

 

Toy Data

ガシャポンHG ウルトラマン part2

1995年発売 各¥200